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徒然爺の散歩覚書

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徒然爺の散歩覚書
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徒然なるままに、世の中を散歩した覚書です。
ある時は「我が町」またあるときは「旅に出た町」を記録したものです。

 左図は「江戸時代に栄えた倉賀野河岸」です。
倉賀野町の所在:群馬県高崎市倉賀野町
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粕沢堰

2012/01/25 12:55
所在地:高崎市倉賀野町1−1/下佐野町905地先
記事更新:(
 粕沢堰は長野堰用水の最下流に位置する堰です。
 かって、明治・大正・昭和と農業が盛んだったころの倉賀野地域農業用水確保の堰として重要な役割を果たしました。
 現在は灌漑・防火・環境用水としての役割を果たしています。
 用水はここで五貫堀と粕沢川の2つに分かれます。
 五貫掘は倉賀野町へ、粕沢川は倉賀野町と下佐野町の境界を流れて烏川に合流します。
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粕沢堰水門(水門から下流は「粕沢川」)
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堰の上流(長野堰用水)
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粕沢堰工事・改修記念碑
 粕沢堰 排水門工事  竣工  大正15年 5月(1926年)
 粕沢堰 護岸改修工事竣工  昭和12年 3月(1937年)
 粕沢堰 災害復旧工事完成  昭和22年12月(1947年)

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初雪降る

2012/01/20 14:41
所在地:高崎市倉賀野町
 前夜からの雨が、夜中から雪になった。
 初雪である。
 大粒のボタン雪でずっと降り続いて、昼過ぎから雨になったが、まだ降りつづく・・・・・・。
 長く続いた「乾燥注意報」も解除されて、ほっと一息・・恵みのお湿りである。
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お行ばあさんの祠

2012/01/17 11:58
所在地:高崎市倉賀野町横町1563地先
記事更新:
 共栄橋北詰の50メートル位手前に小さな祠があります。
 お行ばあさんの由来
 かって横町で、まだ倉賀野河岸が盛んだった頃に行をする女性がいた、その人に拝んでもらうといろいろな事が当たるし病気も治ったという。
 文化9年(1812年)その人が死ぬ時に自分を祭ってくれれば町内に流行病は入れないというので、毎年7月14日の日を供養の日として今も受け継がれています。
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「お行ばあさんの由来」説明看板
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倉賀野神社初詣で賑わう

2012/01/02 13:36
2012年1月1日好天に恵まれて、倉賀野神社は初詣参拝の方々で大賑わいでした。
お守り売り場も行列でした。
深夜から参道に行列が出来ました。寒いので一旦家に帰り昼間出直しました。
今年は災害や事故の無い「安寧」な年でありますように。
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「おみくじ」を開く人〃
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二拝二拍手一拝
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御嶽山

2011/12/08 14:36
所在地:高崎市倉賀野町160
記事更新:
正六公民館に隣接して、3坪くらいの敷地に「築山」があり、頂上にある石碑には「御嶽山座王大権現」(表)「慶応四年(1868年)戊辰正ノ月吉日 永泉主龍拝書」(裏面)と記されています。
その他に御嶽山大神・三笠山大神・八丁×大神・猿田彦大神等の石碑がありますが、これらは浅間山古墳から移築したものです。
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草木ドライブイン

2011/11/07 12:43
所在地:みどり市東村草木74
撮影日:2011.10.28
記事更新:2011.11.19
草木ドライブインは草木湖畔(草木ダムよって出来た人造湖)にあります。
有名な「富弘美術館」は隣にあります。
ドライブイン入口の左手から裏に廻ると、弘法太子像・寝釈迦像・寝釈迦の霊泉などがあり、草木湖の上流風景が展望できます。
また、ドライブイン左手に「貧乏神・疫病神追放神社」というユニークな神社があります。
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ドライブイン正面
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福の神像
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弘法太子像
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寝釈迦さま ご本尊は遠くに見える「二子山」にお祀りしてあるそうです。
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貧乏神・疫病神を追放する招福神社
社殿の中央の柱を右手にある竹棒で思い切り叩いてから祈願します。



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倉賀野城十六騎武者行列+倉賀野小学校鼓笛隊パレード

2011/11/03 12:58
所在地:高崎市倉賀野町
記事更新:撮影日:2011.12.14
11月3日文化の日に恒例の「倉賀野16騎武者行列」が挙行されました。
午前10時「倉賀野神社」神前で出陣式が執り行われたのちに倉賀野小学校鼓笛隊が先導して旧中山道を「閻魔堂」前までパレードしました。
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高木宮司さんの祝詞奏上
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実行委員会・武者・倉小鼓笛隊の方々神前に安穏を祈る
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出陣を前に神前に勝どきを挙げる16騎
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倉賀野中学校前を往く先導
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倉賀野中学校前を往く「倉賀野小学校金管バンド」
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安楽寺山門前を往く隊列
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脇本陣前を往く隊列
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仲町山車巡行

2011/10/30 15:22
所在地:高崎市倉賀野町1592(仲町・山車倉)
撮影日:2011.10.30
記事更新日:2011.10.31
10月30日午後1時から「仲町文化財保存会設立30周年記念祭」の山車巡行が挙行されました。
前日と打って変わり曇りで午前中「にわか雨」がありましたが、巡行時間には晴れ間も見え、賑やかなお囃子と共に仲町町内を巡行しました。
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山車巡行ポスター
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仲町山車倉
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巡行開始
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九品寺前通りへ
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改築された九品寺本堂前を巡行
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飛田さん前で停止し邪魔になった柿の実を収穫する
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関東菊花大会(ながめ公園)

2011/10/30 11:56
所在地:群馬県みどり市大間々町大間々1635
撮影日:2011.10.28
記事更新:2011.11.06
「第54回 関東菊花大会」(主催:関東菊花大会実行委員会)が、みどり市大間々町「ながめ公園」で開催中(10/23〜11/23)です。(入場料:一般個人:300円・小中生:150円 団体:一般250円・小中生100円)
好天に恵まれた10月28日に見物してきました。
この大会が始まったのは、今から54年前は昭和32年(1957年)です。
出品されているものは、盆養(大菊の1〜3本仕立)・懸崖・盆栽・特殊作りなどです。
会場内には「ながめ余興場」もあり昭和華やかなりし頃の雰囲気でした。
高津戸峡の紅葉はまだで11月中旬が良い時期かもしれません。
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ながめ城本丸?
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10月28日は「群馬県民の日」で入場料は100円でした。
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会場案内図
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「ながめ余興場」入口の菊花と菊人形
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大河ドラマの主人公「江」
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「鶴舞う形の群馬県」
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富士山?
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滝と孔雀
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「東日本復興」達磨と星
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あげは蝶
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松づくり
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菊の生垣
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菊人形「本能寺の変」
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菊人形「浦島太郎と乙姫様」
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帆掛船
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盆栽
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第3会場より余興場を望む
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湯の上温泉駅(会津鉄道)

2011/10/27 16:18
所在地:福島県会津郡下郷町湯野上
撮影日:2010.6.25
記事更新:
日本で唯一萱葺屋根の駅舎です「萱葺屋根になったのは1987年(昭和62)で、この年にJR会津線から会津鉄道会津線となりました」。
2002年(平成14年)東北の駅百選に選定される
2005年(平成17年)日本鉄道賞特別賞受賞
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正面口
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入口を入るとお土産・切符売場そして改札口の脇に囲炉裏がありお湯が沸いています。お茶はセルフサービスです。
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上り線ホームから下り線ホームの眺め
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上り線ホームから会津方面の眺め、ホームの両脇は桜の木です。
花見の時期は絶景でしょうね
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下り列車到着
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下り列車出発
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駅の駐車場への道
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萱葺屋根の上部
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観光客の方々が出てきました
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倉賀野神社 秋季大祭

2011/10/20 11:53
;所在地:高崎市倉賀野町1263
撮影日:2011.10.19
記事更新:2011.10.21)
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10月19日(水)倉賀野神社秋季大祭が行われ境内には多くの参詣者が訪れ、露店テントも並び賑わいました。
神楽殿では太々神楽(倉賀野神社附属神楽保存会)・浦安の舞・豊栄の舞(舞姫:倉賀野小中学生)・が厳かに奉納されました。
午後3時からは中学生神輿(倉賀野中学生)の行列が町内に繰り出しました。
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神社参道
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大々神楽(倉賀野神社附属神楽保存会の方々)
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豊栄の舞(舞姫:倉賀野小学校児童)
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中学生神輿(倉賀野中学校生徒)
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宮司さんよりお祓いを受ける
神輿の隊列
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ながめ余興場

2011/10/10 15:22
所在地:群馬県みどり市大間々町大間々1635(ながめ公園内)
撮影日時:2011.10.03
記事更新:2011.10.10
 ながめ余興場は「ながめ公園」の中にあります。公園の直ぐ東側は「関東の耶馬渓」と呼ばれる景勝地「高津戸峡」があり眺めが良い所から「ながめ公園」となりました。また公園内では「関東菊花大会」が毎年開催(10月下旬〜11月下旬)され今年で第54回となりました。
 余興場は昭和12年(1937)に建てられた木造2階建ての劇場で、客席収容人数600人(1・2階席)・廻り舞台付き舞台・花道・桟敷席・楽屋などが設備してあり「みどり市指定重要文化財」であり、群馬県に残る唯一戦前の劇場建築物です。
 最盛期は昭和20〜30年代で人気劇団・著名流行歌手が次々と公演しました。
 ながめ余興場・高津戸峡・菊花大会と合わせた「ながめ公園」は昭和初期の行楽地(テーマパーク)であったようです。
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「ながめ余興場」説明銘版
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正面入口
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切符売場
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関東菊花大会パンフレット
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公園から見た「高津戸峡(渡良瀬川)上流」
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「高津戸峡下流」
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倉賀野町町民運動会(第37回:2011年)

2011/10/10 12:25
会 場:倉賀野緑地(高崎市倉賀野町2164-1)
撮影日:2011.10.09
記事更新:2011.10.17
好天に恵まれた10月9日町民運動会(主催:倉賀野地区地域づくり活動協議会)が「倉賀野緑地」で開催されました。13町内会・各種団体の老若男女が集い、初秋の一日多くの競技に楽しく汗を流しました。
閉会式後、恒例の倉賀野商工会提供の豪華賞品抽選会が賑やかに行われました。
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抽選番号入りプログラム
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開会式です全員集合
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俵担ぎ競争(小学生の部)
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短距離競走
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会場全景(13町内会のテントが並ぶ)
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綱引き
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玉入れ
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2000mマラソンのスタート
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水沼駅(わたらせ渓谷鉄道・旧JR足尾線)

2011/10/07 12:36
所在地:群馬県桐生市黒保根村水沼120-1
撮影日時:2011.10.03
わたらせ渓谷鉄道(桐生(JR両毛線)〜間藤)の水沼駅には水沼駅温泉センタ−があります。
駅に改札はありません。ホームへの出入り自由です。温泉センタへは跨線橋を渡って上り線ホ−ムに行きますと「温泉センター」があります。
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温泉「ゆ」暖簾のある上り線ホーム
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駅前に「10月桜」が咲いていました。
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温泉センタ−入口 階段を登って上りホ−ムへ
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10時38分発の上り列車が来ました
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本宿駅へ向かう列車
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わたらせ渓谷鉄道沿線案内図
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富弘美術館

2011/10/05 12:27
所在地:群馬県みどり市東町草木86
撮影日時:2011.10.03
記事更新:
 星野富弘氏の詩画作品を展示した「富弘美術館」は草木湖の湖岸に建っています。湖を望む美術館周辺には前庭・散策路・親水エリアが設けられており周囲の草花や風景を楽しめるようになっています。
 ※ 2010年11月入館者が600万人を超えた。
 入場料:大人500円 小中学生300円
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前庭から見た美術館正面遠望
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美術館正面入口
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前庭に咲いていた花
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前庭から草木湖と北方の眺望
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駐車場からの眺望
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大内宿

2011/09/28 14:31
所在地:福島県南会津郡下郷町大内
撮影日:2010.06.25
記事更新:2011.10.19
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大内宿全景(子安観世音 三仏堂より)

 大内宿は、会津城下と下野の日光今市を結ぶ会津西街道の宿場として寛永17年(1640年)頃に整備されました。会津城下から数えて2番目の宿場です。
 会津藩主の18回に及ぶ江戸参勤と江戸廻米の輸送などに使われた重要な街道でした。
 昭和56年4月国から「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されました。
 通年約120万人の観光客が訪れます。(以上 大内宿観光協会ホ−ムペ−ジより)
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駐車場で貰った「大内宿マップ」・江戸時代へとタイムスリップ出来る所、それが大内宿です。
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大内宿解説掲示板
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宿場へ入る手前左側の田圃
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宿場の入口
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お祭りのポスター
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高倉神社へ続く路地
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大内宿本陣建屋(大内宿街並み展示館)
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宿場の街道両脇を流れる水路端に咲く花々(昔は街道の中央に水路があったとのこと)
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雄国沼

2011/09/27 15:25
所在地:福島県北塩原村(裏磐梯)
撮影日:2010・06・26

 雄国沼は、猫魔ヶ岳・古城が峰・厩岳山等の外輪山に囲まれたカルデラ湖で、「雄国沼湿原植物群落」として国の天然記念物に指定されています。
6月上旬〜7月初旬まで、ニッコウキスゲの大群落で有名ですが、レンゲツツジ・ワタスゲ・ヌマトラノオなどが咲いています。
雄国沼の標高1,000m
(※ニッコウキスゲの開花期間なので喜多方口からシャトルバスで金沢峠まで行きました)
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雄国沼の北方を見る
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黄色は総て「ニッコウキスゲ」です
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「レンゲツツジ」が点在し咲いています
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須賀庄兵衛帳場跡(倉賀野河岸)

2011/09/02 17:10
所在地:高崎市倉賀野町1468(田屋町)
(記事更新:2011.10.21)
倉賀野河岸舟問屋のひとつ「須賀庄兵衛」帳場跡です。
帳場は船の積載物を確認記帳する所でした。
石垣と牛車留置場が当時の面影を残しています。

「須賀庄兵衛」家は舟問屋を営むと共に「倉賀野宿の脇本陣」を務めました。
もう一つの「脇本陣」須賀長太郎家は中山道を挟んで相向いにあります。 
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 (平成23年(2011)撮影)
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   (昭和40年(1965)頃撮影 上州倉賀野河岸より)
※河岸で永い間問屋業を営んだ家は次の九家と云われています。
須賀長太郎・須賀庄兵衛・須賀喜太郎・須賀善左衛門・水谷又衛門
勅使河原八右衛門・堀口八右衛門・小林藤右衛門・黛 新右衛門
問屋の数は最大で14軒あったと「倉賀野郷土史」に記されています。
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倉賀野河岸問屋場絵図
※(上州倉賀野河岸 前沢辰雄著 昭和40年11月発行)より引用
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電柱が建っている場所が道路から一間ほど凹んでいますが、ここに「牛荷車」を留めました。
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倉賀野の道祖神(2)

2011/08/28 14:24
所在地:高崎市倉賀野町1460(田屋)
(記事更新: )
井戸八幡宮境内内にあり,建立年月不明・世話人氏名が石碑裏面にありました。
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太鼓橋 「宝蔵橋」 (跡) 

2011/08/28 13:36
所在地:高崎市倉賀野町1620付近
(記事更新:2011.10.26)
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  大正9年(1920年鳥羽四郎氏撮影)の太鼓橋
 (上州倉賀野河岸 前沢辰雄著 昭和40年11月発行より)
  写真からは上部構造は不明ですが、橋の下部「円弧状の石組み」が確認できます。
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 現在の太鼓橋は県道和田田中・倉賀野線(旧国道17号・中山道)に覆われて上から観ることは出来ません。
 下を流れる「五貫堀川」も暗渠となり、当時の面影は皆無です。

 中町と下町の間「長野堰」に架し、中山道に属す石橋にして幅2間長3間形太鼓状なるを以て「太鼓橋」名をなす(倉賀野郷土誌)

 石橋に作り替えられる前は、板橋でしたが洪水や・浅間山噴火の降灰により宝永5年(1708)・享保18年(1733)・天明3年(1783)と相次いで崩壊と掛替えを繰り返しました。
 倉賀野宿内の旅籠屋は「溜銭積金200両」余を拠出して、享和3年(1802)に石造太鼓橋に掛替ました。
 石工 江戸大右衛門 
(一説に云う宿内旅籠屋溜銭金200両余とあるは宿内飯盛女の溜銭なりと:倉賀野郷土誌)
 参考文献:「上州倉賀野河岸」 前沢辰雄 著(昭和40年11月発行)

 九品寺の参道右脇に巨大な石碑があります。これは「宝蔵橋」が完成した5年後に以前の橋供養のために建立したものと思われます。
 石碑の表:「南無阿弥陀仏」 裏「文化4年2月(1807)・百万遍橋供養講中 高崎山彰 書」と刻字されています。

※太鼓橋の名称判明
 これまで、太鼓橋と呼ばれていましたが、「宝蔵橋」であることが判明しました。
 7月30日(土) 「倉賀野宿の会(会長 大熊久雄氏)」が太鼓橋に使用された石材調査を行いました。石材は橋の欄干に使用された物で「欄干の台」・「欄干の屋根」・「親柱」・「子柱」がありました。
 この中に橋の名称「宝蔵橋」と刻んだ柱石が在りました(下に石のスケッチ)。
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10月23日(日) これまでの調査状況報告と現物見学会がありました。
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欄干の各種石柱概略図(倉賀野宿の会・大熊久雄氏作成)
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欄干の親柱2個(宝蔵橋・三国屋内ふね と彫られている )
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欄干中間の親柱3個(三蔦屋権之丞・高崎田町?鳥屋四郎兵衛・梅沢屋内とら みよ とみ ?ら)
梅沢屋石の両脇は欄干下側石台で小柱の立つ四角溝があります。
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親柱の土台石(下)と欄干屋根石(上)
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欄干の中間小柱石

 ※五貫堀川について
五貫堀川は長野堰用水の支流であり、JR倉賀野駅西「矢中踏切」脇の「上田堰」水門30m下流より暗渠となり倉賀野町内を南下して共栄橋北詰より烏川に合流しています。
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  上田堰水門
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  上田堰石碑

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草軽電鉄「北軽井沢駅」

2011/08/22 16:45
所在地:群馬県吾妻郡長野原町北軽井沢1987-786
撮影日:2011.08.14
(記事更新:2011.08.27)
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 駅前三差路
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 北軽井沢駅舎(平成18年国指定 有形文化財)正面
かって、軽井沢と草津温泉間に在った「草軽電気鉄道」の唯一現存する北軽井沢駅舎です。
草軽電鉄は、大正2年(1913)着工・大正7年(1918)軽井沢〜北軽井沢間が開通、大正15年(1926)に草津温泉迄の55.5km全線が開通し,沿線には18の駅が開設されました。
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開通当時は「地蔵川停留所」と呼ばれましたが、昭和4年(1929)この地区に法政大学村が開村し、大学村が駅舎を新築して草軽電鉄に寄付しました。
軽井沢の北側に位置しているので「北軽井沢駅」となりました。
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 地蔵川停留所(北軽井沢観光協会・長野原町役場発行パンフレットより転載)
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駅舎のホ−ム側に原寸大レプリカの「電気機関車」が停車中です。
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昭和30年代の北軽井沢駅(北軽井沢観光協会・長野原町役場発行パンフレットより転載)
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駅舎内は展示場になっており、電鉄の歴史年表・路線図・沿線観光絵図などを展示、切符売窓口の方に当時の切符を頂きました。
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駅舎内で販売している「絵葉書」を買いました。一枚100円で切符付きでした。
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当時の沿線観光絵図です。
草軽電鉄は昭和24年・25年(1949・1950)に相次いで台風に襲われて大被害を受け営業路線を縮小しました。
更に昭和34年(1956)台風で吾妻川鉄橋を流失、また営業不振もあって昭和37年(1962)廃止されました。
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嬬恋鹿沢ゆり園(鹿沢スノ−エリア)

2011/08/18 11:47
所在地:群馬県吾妻郡嬬恋村田代1017
     上信越高原国立公園内にある。
撮影日:2011.08.14
(記事更新:2011.08.26)

入園料:大人800円 子供300円
リフト料金:往復大人:800円 子供300円 片道もあり・乗らなくても散策できる
(早咲き(7月中旬〜8月中旬)  遅咲き(8月中旬〜9月上旬)
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「高原に咲き乱れる50万株」のキャッチフレーズに期待して行ってきました。
天気はは晴れでしたが、浅間山は雲で見えず、周囲の景色もガスがかかったようで霞んでいました。
 
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鍋蓋山(1829m)の北斜面に広がる各種のゆり
ゲレンデ上部の花は、盛りを過ぎていますが下部は絢爛豪華でした。
また、下界は「北海道」を思わせる雄大な景色で見渡す限り「嬬恋キャベツ」の畑でした。
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上部中央は「田代湖」
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玉原ラベンダーパーク(冬季:玉原スキーパーク)

2011/07/24 15:03
所在地:群馬県沼田市上発知町350-1
(撮影日:2011.07.23)
※駐車場:無料 入場料:1,000円(大人)小学生以下無料
※営業期間:6/25〜8/31
 関越沼田インターで降りて30分位で到着です。
 ラベンダーの咲く一番高い所は1350m位あり涼しい風が吹きぬけます。
 晴れていれば展望台から草津白根・谷川岳が遠望出来ます。
 今日は霞んでいて、草津白根は見えませんでした。

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ニッコウキスゲとラベンダ−
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ヤナギランに止まる赤とんぼ
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ヤナギラン と ニッコウキスゲ
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正六観音菩薩

2011/06/28 14:57
所在地:高崎市倉賀野町524地先(上正六)
(記事更新:2011.07.04)
「正六観音菩薩由来伝説」
 この観音様は当地の豪族 町田庄兵衛正源氏(法名 正源院入道光雲居士 元徳2年(1330年)庚午3月28日没)が、今より650年前(嘉禄2年 1226年)に、当地の守護神として秘仏 御身体2寸8分(約6cm)正座観音を安置して家内安全疫病退散を祈願し、村内近郷近在の崇敬を集めました。
 祭日は毎年3月20日に行います。      
 昭和51年3月吉日  世話人一同
  (※ 上記は現地説明板より一部修正して引用した)
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説明板
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社殿
 社殿は、倉賀野町から下佐野町へ向かう道路の左側、翁橋の手前にあります。
 社殿の両脇には石像・石碑が数基建立してあります。
 社殿には鍵が掛けられており菩薩像は見ることができません。
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倉賀野町の道祖神 (1:倉賀野神社境内)

2011/06/27 10:49
所在地:高崎市倉賀野町1262(上町)
記事更新:2011.10.13)
倉賀野神社内に祀られている「道祖神と庚申石碑」などは上町地域内に点在していたもので、昭和12年(1937)に境内に遷しました。
※ 道祖神:もともとは境(境界)の神として信仰され地区の外から疫神や魔物が地区内に入るのを防ぎ、遮る神様です。塞神(サイノカミ)とも呼ばれます。
@北向道祖神(北向道祖神社殿内)
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双体道祖神でもとは倉賀野城跡の辺りに祀られていましたが、昭和12年(1937年)に倉賀野神社に遷されました。
安政3年(1858年)の倉賀野宿大火の時に延焼をくい止めた「火伏せの神」として語り継がれています。
裏面に「上町惣子供 施主 大島三右衛門 文化二年乙丑正月吉日」と刻まれております(1805年)。北向道祖神 社殿内にお祀りしています。 
(北向道祖神説明板より引用)
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道祖神移転記念碑(記念碑の裏に昭和12年1月13日建立 上町青年友盛会役員と刻字されてる)
A双体道祖神 
 
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B庚申石碑(庚申塔)
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庚申石碑の裏面に「嘉永3年8月(1850)」と刻字してある。

※庚申塔は中国より伝来した道教由来する「庚申信仰」に基ずいて建てられた石塔のことです。「庚申講」を3年18回続けた記念に建立されることが多いと伝えれています。庚申塔建立が行われるようになるのは江戸時代初期(寛永以降)からです。当初は三猿像や青面金剛像を彫ったものでありましたが「庚申塔」・庚申尊天」などの文字のみ彫付けたものが多くなりました。
庚申講とは人間の体内にいるという「三尺虫」という虫が寝ている間に天帝にその人間の悪事を報告しに行くのを防ぐため庚申の日に夜通し天帝や猿田彦や青面金剛を祀って宴会などをする風習です。
明治政府は庚申信仰を迷信とし街道筋に置かれた庚申塔の撤去を進めました。



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小鶴巻古墳

2011/06/21 12:22
所在地:高崎市倉賀野町686地先
(記事更新:)
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        全景(左:前方部 右:後円部)
小鶴巻古墳は前方部を西に向けた全長87.5mの前方後円墳です。
前方部先端幅40m・高さ2.5m、後円部径45m・高さ6mで、全体の形状は「浅間山古墳」の1/2の相似形となっています。
後円部墳頂部に「凝灰岩くりぬき式舟形石棺」のあることが確認されています。
築造時期は5世紀後半と考えられています。
前方部頂部は個人墓地になっています。
(高崎市教育委員会 文化財保護課 神戸聖語氏 「倉賀野地域の古代」講演テキスト参照 2005年2月)
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         前方部より後円部を見る・石垣は保存されている。
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         後円部
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         前方部の頂部は墓地になっている。
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倉賀野小学校の歴史

2011/05/21 11:47
所在地:高崎市倉賀野町1744
(記事更新:2011.05.26)
  倉賀野小学校は、明治6年(1873年)8月 九品寺に仮教室を置いたのが始まりです。
 「主者:水谷喜三太 教員2名 生徒数:男58名 女40名 授業料10銭/月(群馬郡誌)」
 翌年、明治7年(1874年)4月を倉賀野小学校の創立とし男女150名の就学生で正式の授業を開始しました。
 その後、九品寺は狭くなったので明治14年(1881年)仮教室は永泉寺に移転しました。

 明治18年(1885年)新校舎建築に着手し、明治19年(1886年)4月現在「倉賀野公民館」と「倉賀野農協」がある場所(倉賀野町1691)に、新校舎が落成し仮教室から移転しました。
 明治25年(1892年)10月小学校令により町立倉賀野尋常小学校および倉賀野高等小学校となりました。 
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最初の校舎 (撮影日時不明:校舎壁面が剥げており古くなってから撮影?)

 大正11年10月現在地(倉賀野町1744)に木造2階建校舎を建設しました。

 (写真は探索中)

 昭和9年7月に出来た「校歌」(作詞 文学博士 中村孝也)
 1. 広野にたちて見わたせば  三山遠く聳えたち
    流れてやまぬ烏川      末はかすみに消えてゆく
    緑なす桑の海         美し我らの故郷
               
 2. 古墳のほとり城の址     おく露ふかし街道の 
    松の並木に言問えば     昔を語る風の音
    古き世の物がたり       なつかし我等の倉賀野              
※以上の参考文献:前沢辰雄 著 「倉賀野千年史」 昭和41年(1966年)発行

現在の校舎 
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倉賀野地下道

2011/05/09 16:24
所在地:高崎市倉賀野町4230地先(上町)
(記事更新:2011.12.07)
 倉賀野地下道は平成3年4月22日に開通しました。
 JR高崎線・倉賀野駅西側にある矢中踏切が貨物の入換で朝夕渋滞が激しく、解消のために建設されました。
 
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 平成3年4月22日開通式典が行われ、パトカーが先導した車列が地下道を通過しました。
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          前市長「松浦幸雄」氏の式典挨拶
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          テープカット
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          先導するパトカーと住民の皆さん
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横町の文化遺産(庚申塔と道祖神)

2011/04/27 12:58
所在地:高崎市倉賀野町1561−4(横町)
(記事更新:2011.06.16)
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 倉賀野河岸華やかなりしころ横町は船頭さんが多く住んでいた所です。
 横町町内会の皆さんが町内に点在した道祖神等を集めてここにお祀りしました。

庚申塔(こうしんとう)は庚申塚ともいい、中国より伝来した「道教」に由来する「庚申信仰」に基ずいて建てら    れた石塔のことです。
 「庚申講」を3年18回続けた記念に建立されることが多いようです。
 「庚申講(庚申待ち)」とは、人間の体内にいるという三尺虫という虫が、寝ている間に天帝にその人間の悪事を報 告しに行くのを防ぐため、庚申の日に夜通し眠らないで、天帝や猿田ひこ神や青面金剛を祀って宴会などをする風習であります。
 庚申塔の建立が広く行われたのは江戸時代初期(寛永期以降)頃から末期まででした。
 明治時代になると政府は庚申信仰を迷信とし街道筋に置かれたものの撤去をしました。

 ※道祖神は路傍の神様で、集落の境や村の中心、村内と村外の境界・道の辻・三差路等に石碑や石像の形態で祀られました。芭蕉の「奥の細道」では旅に誘う神様として冒頭に登場します。
 (※ フリ-百科事典「ウキペディア(Wikipedia)より)
  
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倉賀野緑地

2011/02/25 11:47
所在地 : 高崎市倉賀野町2164-1(緑地管理事務所)
(記事更新:2011/05/20)
 倉賀野緑地は町の南側を流れる烏川の左岸にあります。
 芝生広場・ソフトボール場2面・サッカー場1面・小公園・駐車場などがあります。
  駐車場は緑地管理事務所下と共栄橋北詰下にあります。
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              緑地管理事務所入口
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              休 憩 所
 ソフトボール場を利用して、毎年体育の日に倉賀野町町民運動会が開催され13町内から2000名程の老若男女が参加します。
  川面には、野鳥が泳ぎ・冬は白鳥が来ます。
 運が良ければ「カワセミ」に会えます。
 対岸は「高崎市民ゴルフ場」になっています。
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             満開の桜(2011.04.12撮影)
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              サッカー場
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              ソフトボール場
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               芝生広場
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榛名湖秋景

2011/02/18 15:42
所在地 :群馬県高崎市榛名湖町
撮影月日:2010.11.6
記事更新:2011.10.16
 上毛三山のひとつ「榛名山」2010年の秋です。

 足元の榛名湖に映る「榛名富士」が美しいところです。
 湖畔一周散歩がお勧めです。

 厳冬のワカサギ釣りが有名ですが、今年(2011年)の冬は3年ぶりに湖面が凍結し氷上での釣りが可能となり
沢山の太公望が訪れました。
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烏帽子岳登山口にある「加護丸稲荷神社」
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「湖畔の宿」(唄:高峰三枝子)を流しながら遊覧船が行く
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「ゆうすげ温泉」付近
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榛名湖の向こうに「烏帽子岳」の先端
 

 
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古堤溜池

2011/02/14 14:30
所在地:高崎市倉賀野町2313-2
古堤は、かって倉賀野東部の田畑を潤していた灌漑用貯水池です。
(倉賀野にはもう一つ「新堤」と呼ぶ貯水池があります)
1661年代(寛文年代)に高崎藩主の命により、農民が築造したものです。
田畑が宅地化した 現在はその役目を終えました。

昭和52年に貯水池の半分を埋立て倉賀野保育園が建設されました。

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                  古堤の東端から西端を見る

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                  「古堤の由緒」碑

碑文 「古堤の由緒」
     
 古堤は倉賀野町字荒神にあり面積は六反三畝五歩にして、徳川4代将軍家綱公の寛文年代全国的な大旱魃起こり時の高崎藩主は、年貢を減少する代償として農民の労力により灌漑用貯水池として建設したと伝えられる
 その後管理は名主・組頭・百姓代表によってなされたが、明治に至り町の所有となり下組水利組合が管理運営にあたり下流地域一帯の田畑を潤し農民はその恩恵に浴す
時は移り世は変わり町村合併により高崎市の所有となり、幼児教育の重要なることを認めて相謀りて、ここに、その半ばを埋め立て保育所を建設するに至る
 この農民の歴史を後世に伝えんとしてこの碑を建つ
    
 昭和五十二年四月吉日      倉賀野下組水利組合



     
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高札場(こうさつば)

2011/02/13 15:54
所在地:高崎市倉賀野町1167(上町)
(記事更新:2011.05.19)
 高札場は、現在の掲示板に相当するもので、江戸時代には幕府や諸藩が民衆に法令を知らせる為に宿場や集落の入口や中心部など目立つ場所に設置しました。
 倉賀野宿の高札場は1か所、上町に建てたと「倉賀野宿明細書上帳・松本勘兵衛控」(1844年・弘化1年)に記載してあります。

 現在の高札場は、幕府が設置したものを参考に「雁会」が再建し、平成21年に倉賀野宿の会と町内有志の奉仕で改修しました。
 掲示の内容は、「キリスト教禁止」に基づき宣教師や信者を見つけたら密告することを奨励したものです。
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                     高 札 場
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倉賀野の歴史

2011/02/07 14:35
所在地:群馬県高崎市倉賀野町
記事更新(2012.01.22)
 5世紀頃、この地域に「浅間山古墳などの大古墳が築造されました。やがて、平安時代になると宮原荘と呼ばれる荘園がおかれました。
 鎌倉時代に、この地に落ち着いた武蔵児玉党の子孫が倉賀野氏を名乗り、南北朝の頃に、戦略的に重要な拠点として倉賀野城を築城しました。
 戦国時代になると上杉・武田・北条氏の勢力争いに巻き込まれ、倉賀野城は1590年(天正18年)に陥落し廃城となりました。

 江戸時代に入り中山道が整備されると、倉賀野宿には本陣・脇本陣が置かれ日光例弊使道への分岐点も設けられました。
 また烏川には、倉賀野河岸が設けられ、江戸と日本海側の諸国とを結ぶ物資輸送の中継地となりました。
 宿場は参勤交代や旅人・船頭・人足・町人等で大いに賑わい繁盛しました。
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   渓斎英泉 作  木曽路街道六十九次  倉賀野宿烏川図         

 1803年(享和3年)の記録によると、家数:453軒、旅籠:64軒、人口2156人であり当時の繁栄ぶりが偲ばれます。
 (参考資料:倉賀野町まちづくりネットワーク 作成  倉賀野めぐり 第一号)

倉賀野歴史年表
  西暦   和暦    時代      歴史記録
  400          古墳     浅間山古墳築造
  500           〃      大鶴巻古墳築造
  510           〃     小鶴巻古墳築造

  700   文武4   飛鳥     安楽寺古墳築造
  710   天平9   奈良     安楽寺七仏薬師建立
  806   大同1   平安     飯玉神社(現倉賀野神社)
                       坂上田村麿祭祀
  940   天恵3   〃      安楽寺建立
  1226  嘉禄2           正六観音菩薩現在地に祀る
  1253  建長5   鎌倉     飯玉神社社殿建立
                       倉賀野三郎高俊

  1386  至徳3   南北朝   養報寺開山・本堂建立
                       僧「秀乗」
  1394  応永1   室町     倉賀野城築城
                       倉賀野三郎左衛門尉光行
  1451  宝徳3    〃      養報寺 江戸島弁財天勧請
  1466  永禄    〃      諏訪大社上社より諏訪明神勧請
                       (金井淡路守)諏訪神社とする
  1491  延徳3   〃      九品寺創建 倉賀野五郎行信
                                  (倉賀野城主)

  1516  永世13  戦国    林西寺開基 法印乗伝和尚
  1573  天正1   安土桃山 永泉寺創建 金井淡路守景秀
  1576  天正4   〃      養報寺山門建立
  1590  天正18  〃      倉賀野城・上杉軍にて落城

 
 1598  慶長3   江戸    中山道開通
  ?     ?     〃      中山道倉賀野宿杉並木植林
  ?     ?     〃      倉賀野河岸開設
        慶安    〃                        
  1646  正保3   〃      井戸八幡宮建立
                       安藤右京重久(高崎城主)
  1661  寛文1   〃      古堤溜池築造
  1703  元禄16  〃      阿弥陀堂(現:閻魔堂)
                      当時の絵図面に描かれている
  1710  宝永7   〃      三光寺稲荷神社造営
  1783  天明3   〃      新堤溜池築造開始・浅間山大噴火
  1786  天明6   〃      新堤溜池完成
  1790  寛政2   〃      諏訪神社本殿改修
  1792  寛政4   〃      永泉寺火災全焼
                       その後再建するも年号不明
  1798  寛政10  〃      倉賀野宿大火
  1798  寛政10  〃      阿弥陀堂(現:閻魔堂)
                       大火で焼失し再建
  1798  寛政10  〃      林西寺大火で全焼
  1802  享和3   〃      宝蔵橋(現太鼓橋)
                       木造橋⇒石橋にて架橋
  1802  享和3   〃      倉賀野宿全盛期
  1813  文化10  〃      林西寺再建

  1873  明治6  明治     倉賀野小学校 九品寺に開校
  1881  明治14  〃          〃     永泉寺に移転
  1886  明治19 〃     倉賀野小学校新校舎落成
                      (現:倉賀野公民館・農協の場所)
  1887  明治20  〃     現:JR倉賀野駅開業
  1907  明治40  〃     三光寺稲荷神社社殿
                      群馬郡東村川曲へ売却
                      明治政府の神社合併政策による

  
  1922  大正11 大正     倉賀野小学校
                      現在地に新校舎建設移転

  1932  昭和7  昭和     共栄橋架橋(木製)
  1935  昭和10  〃     三光寺稲荷社殿創建
                      (横町町民による)冠稲荷神社とする
                      共栄橋洪水で流失し、再架橋(木製)
  1947  昭和22  〃     共栄橋コンクリート橋にて架設
  1953  昭和28  〃     林西寺を萱葺きから瓦葺に改築
  1973  昭和48  〃     養報寺山門改築

  1995  平成7  平成     林西寺銅板葺に改修
  1998  平成10  〃     林西寺客殿寛政
  2003  平成15  〃     雨水7号幹線(地下トンネル排水路)着工
  2006  平成18  〃     雨水7号幹線完成
  2010  平成22  〃     九品寺本堂改築工事開始
  2012  平成23  〃     九品寺本堂改築完成
 
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 安楽寺前の中山道・倉賀野宿道標
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中山道杉並木(倉賀野宿)

2011/02/02 15:02
所在地:高崎市倉賀野町546-1(フレッセイ倉賀野西店付近東西150メ-トル)
(記事更新:2011.09.13)
 並木は、中山道が開通した慶長3年(1598年)以降に植えつけらたようで、倉賀野宿(現在の上町辺り)から高崎宿の入口(現在の下佐野町辺り)まで、松と杉が混在した並木で街道の景観を造っていました。
 旅人が倉賀野宿を後に高崎宿を目指すと、正面に「浅間山」・左に「妙義山」・右手に「榛名山」・さらに「赤城山」を眺望できたはずです。
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 大正12年(1923年)撮影の中山道杉並木・左は浅間山古墳
(「上州倉賀野河岸」 前沢辰雄著 昭和40年11月発行より)
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  昭和初期の松並木(松の左が道路・右が水路)
 昭和7年(1932年)までは昔日の面影を止めた並木でしたが、それ以降の交通事情変化や交通量増加などにより、中山道の大改修が始まり、道路の拡張・舗装が繰り返し行われ並木は順次伐採され昭和40年(1965年)までに総て消滅しました。
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                       現在の松並木
 現在の松並木は、旧中山道が県道になるのを契機に倉賀野町有志の方々のご尽力で平成に入り復元されました。






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烏川雨水7号幹線(地下トンネル構造)

2011/01/25 14:53
所在地:高崎市倉賀野町(下記掲載地図参照)
(記事更新:2011.08.28)
 烏川雨水7号幹線は、倉賀野町と下之城町一帯の浸水被害防止のために、高崎市の総合防災計画に策定されて、2003年(平成15年度)から工事が開始され、2006年(平成18年3月)に竣工しました。
その後、幹線への側溝接続工事などがあって供用となり、豪雨時の雨水は放流口から烏川に放水され道路冠水被害は無くなりました。
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 倉賀野町の中心を通る旧中山道(旧国道17号線)の北側は、かって水田地帯でありましたが 宅地開発が進みほぼ総ての水田は無くなりました。
 このため、豪雨時の保水力が無くなり下流となる道路の冠水被害がしばしば発生するようになりました。
 雨水放流処理は倉賀野町住民長年の願いでした。
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     地下トンネル見学会が開かれました

雨水幹線は、地下トンネル構造で「シールド機」によって 旧中山道(旧国道17号線)道路下を掘削して築造されました。
 シールド機は倉賀野小学校児童の発案で「倉賀野堀りべえ」と名付けられました。
 2004年(平成16年7月)発進式兼安全祈願祭が行われ、トンネルの掘削が開始されまし た。
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                    発進式典・安全祈願祭

 放流口が設置された共栄橋(北詰)に「倉賀野堀りべえ(地下トンネル掘削機)」の記念碑があります。
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      雨水放流口
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新堤溜池

2011/01/21 14:18
所在地 高崎市倉賀野町1815付近 (桜木町)
(記事更新:2011.09.09) 
 「新堤溜池」はJR倉賀野駅北側にあります。
 天明3年3月に着工して、天明6年に完成したと記録にあります。
 着工して間もなく、天明3年7月5日に浅間山が大噴火しました。
 倉賀野宿も壊滅的な被害を受けました。30センチあまりの降灰が住居や耕作地に降り注ぎ埋めてしまい、手のほどこしようがなかったとあります。 
 天明の飢饉のはじまりでした。
 このような厳しい中でも新堤の掘削は続けられ、水田用水溜池が完成したのです。
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  溜池の東端から西方を見る
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 北東端に「改修記念碑」がある
 昭和11年3月竣工と彫られた改修記念碑が建立され、当時の町長松本 忍氏や下組水利委員の方々の氏名が刻まれています。(拡大すると見えます)
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 溜池の東・北側には桜が植栽されており、春は桜が咲き誇り、冬になると水鳥(カモ)がやってきます。
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共栄橋

2011/01/18 16:03
所在地 高崎市倉賀野町1502−15 付近(橋の北詰)

共栄橋は「烏川」に架かり倉賀野町と阿久津町を結んで、県道「倉賀野停車場ー金井」線にあります。
昭和7年(1932)に幅4.5M・長さ117Mの木橋で架設され、これによって渡船と仮橋の時代が終わりました。
名称「共栄橋」はこの時命名されました。

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                 共栄橋全景(対岸は阿久津町)

その後、昭和10年(1935)秋に洪水で流失し再び木橋が架設されましたが、昭和32年(1947)9月コンクリート橋で架設されました。

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                 共栄橋北詰

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           コンクリート橋になった当時の共栄橋(対岸は倉賀野町)



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JR倉賀野駅

2011/01/12 15:41
所在地 高崎市倉賀野町1797 (JR東日本)
      高崎市東中里町65 (JR貨物)
(記事更新:2012.01.23)
現在「倉賀野駅自由通路橋」改装(外壁・通路床面)工事中です。
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(撮影日:2011.11.24)
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                    倉賀野駅(南口)
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                    倉賀野駅(北口)
倉賀野駅は明治20年(1887)5月1日に営業を開始しました。
この3年前の、明治17年(1884)5月1日に高崎線(上野ー高崎間)が日本鉄道会社によって全線開通しました。
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昭和40年(1965)頃の倉賀野駅(南口) ※当時北口はなし
現在、倉賀野駅は2箇所にあります。
 @ JR東日本「倉賀野駅」 
     高崎線と八高線が発着します。
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                   乗車券売場
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                   改札口
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                    倉賀野駅ホ−ム
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 A  JR貨物「貨物駅」
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倉賀野駅3番ホームから「貨物駅」に向かうタンク車

「貨物駅」は「倉賀野駅」の本線から分岐して「引き込線」に入り1KM ほど東方にあります。
貨物駅はコンテナー車と石油類タンク車を扱います。
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                   貨物駅への引込線
この引き込線は、「岩鼻軽便鉄道(倉賀野駅〜上州岩鼻駅)」の廃線を転用したものです。
「岩鼻軽便鉄道」は、倉賀野駅から岩鼻火薬製造所(旧陸軍造兵廠火工廠岩鼻火薬製造所)に直通する鉄道で、 大正6年4月(1917)開業・太平洋戦争の終戦と共に昭和20年(1945)9月廃止されました。
上州岩鼻駅は火薬製造所の敷地内にありました。
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引込線終端からの廃線跡(赤点線)の地図
 現在、岩鼻火薬製造所の跡地には、県立「群馬の森公園」・「歴史博物館」・「美術館」・日本原子力開発研究機構高崎量子応用研究所・日本化薬高崎工場があります。
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                  本線から分岐し貨物駅に向かう線路
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                 倉賀野駅貨物基地/JR貨物の標識
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                 コンテナー用ホーム
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                 オイルタンク                 
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                 タンク車留置線路
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                 国道17号の下を倉賀野駅に向うコンテナー列車 
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                 貨物基地の機関車
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                 基地の東端にある引込線終端
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高架橋下が廃線跡・高架橋終端部の下は「粕川」でここに鉄橋があったはずです。
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「粕川」対岸は現在「高南幼稚園」で、バスの駐車場辺りが廃線跡です。
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この先の道路が廃線跡で右にカーブしながら「日本原研」へ続きます。
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先に見える「未舗装道路」が廃線跡で、奥の土手とフェンスの向こうが「日本原研」です。


貨物基地周辺

引込線終端付近      
      
      
      
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諏訪神社

2011/01/12 11:00
所在地 高崎市倉賀野町1966 (下町)
(記事更新:2011.12.11)
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                     諏訪神社入口
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                     諏訪神社 社殿
 諏訪神社は、永禄年中(1466 頃)倉賀野城主となった「金井淡路守」が領地領民の民生安定を願い
信濃諏訪(長野県茅野市)にある諏訪大社上社本宮から諏訪明神を勧請しこの地にお祀りしました。
 その後、寛政2年(1790)に本殿造営修理をしたとの記録があります。
 御祭礼 8月26日 (山車巡行・草相撲)
 かって、境内にあった欅の大木は神社の目印でしたが、台風で倒れ、これにより社殿も倒壊しました。
現在の本殿は平成7年(1995)に再建されたものです。
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社殿 改修記念碑
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旧社殿と欅の大木(昭和40年頃(1965)撮影 倉賀野千年史 前沢辰雄著)
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相撲場(祭りの日に草相撲大会が挙行される)
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池鯉鮒神社 (社殿の南前方左奥「古堤溜池」を半分埋め立てた折に、生育していた魚と池を供養するため建立したものと思われます)
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八坂神社
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道祖神(天明5年・1785年の刻字)





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